キリスト教の伝道者でありながら、 奇跡の時代は過ぎ去ったと、さも得意気に語っている人人を見受ける。 奇跡がないのではなく、 奇跡に対する信仰がないために、奇跡としるしを行い得ないのである。 今からでも遅くはない、悔い改めて、 「イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」(使徒言行録4・30)と祈るべきである。 |
「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。」(ヘブライ人への手紙13・6)変ったのは現代人の信仰である。 現代人の信仰は頭から出ているが、 本当の信仰、生ける信仰、奇跡としるしを行う信仰は、腹の奥底より流出するものである。 |
わたしは、しるしに関して多く語り過ぎたであろうか。 わたしは、決して神癒が福音であると言っているのではない。 「弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。(弟子たちは、福音そのものを伝えたのであり、決して神癒を伝えたのではなかった。) 主も彼らと共に働き、 御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった」(マルコ16・20)とある通り、 神癒は福音に伴うものであり、第ニ義的なものである。 真の本質的な宣教は、キリストご自身(聖霊)を伝達することである。 |