「出会い」という言葉は、今日、流行語の一つである。
しかし、残念なことに、出会いという真の意味が、ほとんど知られていないようである。
本当の「出会い」という意味は、
その出会いによって、自分の生涯に革命的変化をもたらし、
全生涯を決定的にする重大な出来事なのである。
人生にとり、出会いほど重大であり、運命を決定的にするものはない。
その意味において、わたしは、わたしの人生を決定的にした、まことにすばらしい出会いに恵まれたことに対して、深い感謝の念を禁じ得ないのである。
九歳にして母の死という悲哀を体験したわたしの心に、
人生無常迅速(むじょうじんそく)なることの悲しみ、
同時に永遠の生命への強い憧(あこが)れが芽ばえたのであった。
それが、わたしをキリスト教に摂理的に導いた動機であった。
確かに人間の霊魂のうちには、永遠の生命に対する本能的郷愁が内在しているのである。
同志社に在学したことによって、キリスト教の感化影響を受け、
金森通倫牧師を通して水のバプテスマを受け、
クリスチャンと呼ばれる存在とされたのであったが、
当時の同志社は、キリスト教社会主義のメッカの感があった。
そのグル−プの著名なリ−ダ−の強い感化を受け、
わたしはいつしか、キリスト教信仰から思想へ、政治運動へとかりたてられていったのであった。
今日においては、社会主義(革新派)は、世界の常識であり、進歩的人間とみなされている観があるが、
わたしの青年時代においては、社会主義者は、最も危険人物とみなされ、特高警察のブラック・リストにしるされ、絶え間なく尾行される存在であった。
信仰に、思想に、政治に、全く行きづまり失望したわたしが、
金森先生を東京にたずねたのは、その時点においてであった。
金森先生を通して、日本ホ−リネス教会創立者、中田重治監督を紹介され、わたしは初めて中田重治先生に出会ったのである。
わたしは、中田重治先生との出会いにおいて、
キリスト教にではなく、
神学にでもなく、
福音そのものに出会ったのである。
つまり、聖書の啓示する福音そのものに生きている人に出会ったのである。
(バプテスマの)ヨハネから聞いて、
イエスについて行ったシモン・ペテロの兄弟アンデレが、自分の兄弟シモンに出会って、
「わたしたちは
メシヤにいま出会った」(ヨハネ1・41)と叫ばざるを得なかった、
あの弟子達のイエス・キリストとの出会いに似通(にかよ)った、感動的出会いであった。
中田先生との出会いは、わたしにとって、まことに生涯を決定的にする出会いとなったのである。
中田先生を通して、
福音(新生・聖化・神癒(しんゆ)・再臨)を知り、
福音に生きることを教えられ、
イスラエル民族の救いと、エルサレムの平和を祈ること、
また、平和の君であるメシヤの再臨によって、
人類の救いと世界平和が達成されるという、
神の経綸(けいりん)についての奥義を、徹底的に教えられたのであった。
中田先生とのくすしき出会いによって、
わたしの人生観、思想、信仰が、根底からくつがえされ、根本的に一新されたのである。
今日的表現をもってすれば、信仰の革命が起こったのである。
中田先生との出会いなくしては、今日のわたしはあり得ないのである。
中田先生はわたしの恩師であり、
わたしは偉大な預言者、偉大な宗教家、偉大な指導者・中田先生の弟子であることを、
誇りに思うと共に、この師にしてこの弟子あり、と言われるにふさわしいものでありたいと、
祈っているのである。良き師は、神の賜物(たまもの)である。
「だれが賢い妻を見つけることができるか、
彼女は宝石よりもすぐれて尊い。」(箴言31・10)
わたしたちの結婚は、全く神の賜物であり、恋愛結婚でもなく、また見合い結婚でもなく、信仰結婚である。
聖書学院在学中、肺浸潤(しんじゅん)と肋膜(ろくまく)を患(わずら)い、やむを得ずして郷里綾部に帰り、療養中のことである。
信仰により一瞬にして奇跡的にいやされ、快方に向かいつつあったある夜、久々に教会の集会に出席したところ、二十二、三歳と思われるひとりの女性が立った。
「わたしは信仰のゆえに婚約解消となり、信仰のゆえに愛する父からも勘当(かんどう)されたものでありますが、
『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい』(創世記12・1)との御声をきき、それに従い、行く先を知らないで、ただ信仰をもってここにまいりました。
『娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ。
あなたの民と、あなたの父の家とを忘れよ。
王はあなたのうるわしさを慕うであろう。』(詩篇45・10〜11)
神ご自身よりのわたしに対する召命は、あまりにも鮮烈であり、キリストの愛がわたしに迫ります。わたしはいのちをかけて、御召命にこたえる覚悟です」との涙ながらの証(あかし)は、わたしの心に強い印象を与えたのであった。
神学校を卒業し、豊岡ホ−リネス教会の開拓(かいたく)伝道の任命を受け、困難な開拓伝道のため苦闘している最中、結婚話が持ち込まれたのである。
相手の女性は、くすしくも、あの勘当(かんどう)されし娘であった。
わたしは即座に、信仰をもって、勘当娘との結婚を受け入れたのである。
それは、彼女が信仰の父アブラハムの娘であり、筋金(すじがね)入りの信仰者であることを、すでに確認していたからである。
かくのごときが、彼女とわたしの出会いであり、彼女とのくすしき出会いが、わたしの結婚を決定的なものにしたのである。
しかし、信ずるものは決して失望に終わることはない。
なぜなら、信仰は神ご自身の介入を問題の中にもたらすことであり、
神の祝福を受ける結果となるからである。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。」(ヘブライ人への手紙11・6)
1938年1月9日夕7時、忽然(こつぜん)として、
私の面前に、復活の生けるキリストご自身が
聖なる御臨在のうちより顕現(けんげん)され、
息を吹きかけ、「我をとりて食らえ」と御声をかけられたのである。
その息の中から、発光体の火の炎のごときものがあらわれ、
わたしに近づき、わたしの口に触れた。
その発光体は、「
言(ことば)」であった。
その
がわたしの腹の中にとどまったとき、
間髪(かんはつ)を容(い)れずして、
わたしの人格の最奥において、
言(ことば)・・・・
ロゴス・・・・
キリスト・・・・
神・・・・
聖霊・・・・
三位(さんみ)一体・・・・
実体・・・・
ロゴスは神なり・・・・
これがうちに生命(いのち)あり・・・・
永遠の生命(いのち)!
』(ヨハネの手紙1・1〜4)
まことに、「御子をわたしの内に啓示して下さった」(ガラテヤの信徒への手紙1・16)のである。
わたしはイエス・キリストとの出会いにおいて、
まことに神なるロゴスに出会ったのである。
聖ヨハネのごとく、
神の実体そのものであるロゴスとの全人格的出会いを体験したのである。
この生ける神との出会いは、
わたしのイエス・キリストに対する認識、
キリストの神性に対する認識に革命をもたらし、
わたしの一切を根本的に本質的に更新した。
わたしがロゴスとの出会いにおいて到達した神認識は、
言は神なり』との聖ヨハネと同一認識であった。
ことばは神なり ロゴスは神なり
うちに啓示されし ハッシェ−ム
われ神に出会う・・・・・
この神との出会いこそは、
最高の出会いであり、
最大の出会いであり、
神の現存を失うことのない永遠の出会いである。
この神との出会いにおいて、
人は永遠のいのちに生きるものとなり、
神の性質にあずかるものとされ、
聖化され、ついに主ご自身と同じ姿に変容されていくのである。