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       「キリストがすべてであり、 
       すべてのもののうちにいますのである。」(コロサイの信徒への手紙3・11) 
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       パウロ神学の中心テ-マは、「キリストがすべて」との一句に要約することができる。 | 
    
    
       「キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、 
       そしてあなたがたは、 
       キリストにあって、それに満たされているのである。」(コロサイの信徒への手紙2・9~10) | 
    
    
       「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、 
       神によるのである。 
       キリストは神に立てられて、 
       わたしたちの知恵となり、 
       義と聖とあがない(すべてのすべて)とになられたのである。」(コリントの信徒への手紙一1・30) | 
    
    
       表現は異なっていても、内容的には同じ意味のことばである。 
       パウロ神学の要約である、「キリストがすべて」を自分自身のものとするなら、 
       霊的生活の頂点に到達したこととなる。 | 
    
    
       信仰というギリシャ語は、神と一つになるという意味を示すことばである。 
       事実、信仰によってのみ、人は神と一つになることができるのである。 | 
    
    
       「キリストは、 
       わたしたちの知恵となり、 
       義と聖とあがない(すべてのすべて)とになられたのである。」 
       神がキリストを与え給うたのは、 
       単に罪の赦(ゆる)しを与えるのみではなく、 
       わたしにかかわる全的なあがない、すべてにかかわることを示している。 | 
    
    
       父を知りイエス・キリストを知り、 
       永遠の命を人格的に、実体的に知ることができたのは、 
       人知によるものではなく、 
       神の啓示によったのである(エフェソの信徒への手紙1・17~19)。 | 
    
    
       霊的無知蒙昧(もうまい)なわたしたちが、 
       御旨(みむね)の奥義を理解し得たのは、神の啓示による。 | 
    
    
       不義なる者を、義人とするための手段はただ一つしかない。 
       神の義であるキリストご自身を与えることによってのみ、可能なのである。 | 
    
    
       原罪によって、全存在がくまなく汚されている人間を、 
       聖なるものとするためには、 
       聖そのものであるキリストご自身を与えることによってのみ可能となる。 
       霊的死人である人間を、 
       復活させるには、 
       復活でありいのちであるキリストご自身を与えること以外に道は絶無である。 | 
    
    
       無力な人間をして、 
       神の救いのみ業、 
       全人類に永遠のいのちを与える事業に参与せしめるためには、 
       神の力そのものであるキリストご自身を与え、 
       人間が神を自分の力とする以外に方法はない。 | 
    
    
       医学の進歩により、他者の臓器を移植することによって人を生かし、 
       他者の角膜を移植することにより、失明者を救っているのに似ている。 | 
    
    
       「わたしは主(全能)であって、あなたをいやすものである」(出エジプト記15・26) 
       と宣言されし偉大な医師である主は、 
       キリストご自身のいのちを移植することによって、 
       霊的死人である人類を全的に救うために、 
       キリストを提供されたのである。 
       彼(キリスト)を自分自身のいのち、あがない、すべてとして受け入れし者は幸いである。 |