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       「主はアブラムに現れて言われた、 
       『わたしは全能の神である。 
       あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。』」(創世記17・1) 
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       主(アドナイ)は 
       「我は全能の神なり(アニ-・エル・シャダイ)」との御名(ハシェ-ム)をもって、 
       ご自身を啓示された。 
       単に御名を啓示されたのみではなく、 
       この御名の啓示によって、アブラハムを新創造し、アブラハムとされたのである。 
       この瞬間より、全能の神ご自身が、アブラハムのうちに宿り、 
       かつ、歩み給うようになったのである。 | 
    
    
       この瞬間より、全能の神ご自身が、 
       アブラハムのうちに宿り、かつ、歩み給うようになったのである。 | 
    
    
       全能は神性の特性であり、 
       神は希望されるままに、 
       希望される時に、 
       ご自身の意志のままに、 
       ただのひとことばをもって、無から全宇宙を、全被造物を創造されたのである。 | 
    
    
       「神にとっては何事も決して不可能ではありません 
       <神から出ることばで、実現の力のないものは一つもありません>。」(ルカ1・37、詳約) 
       「するとマリヤが言った、 
       『ごらんください、私は主のはしためでございます。 
       あなたのお言葉のとおり、この身になりますように(fiat)。』(ルカ1・38) | 
    
    
       マリヤが全能の主に対して「フィアット」と答えた瞬間、 
       ロゴスは人性をとられ、 
       「見よ、おとめがみごもって(処女性の純潔を失うことなくして)男の子を産む。 
       その名はインマヌエルととなえられる」(イザヤ7・14) 
       とのメシヤ受胎・出現の、 
       イザヤを通して予告されし神のことば、 
       待ち望まれた預言は、実現成就されたのである。 | 
    
    
       「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」とのみことばは、深い意味をもっている。 
       「全能者であるわたしが、いつもあなたのうちにいる。 
       それゆえ、あなたはいついかなるときも、全能の神の現存の意識のうちに生きよ。 
       決して不信仰であってはならない。 
       信仰において全き者であれ。 
       全能者であるわたしに対して、ただ単純率直に、『フィアット』をもって答えよ」との意味である。 | 
    
    
       全能者を所有する者の義務責任は、 
       マリヤのように「フィアット」をもってこたえることである。 
       自己の無を全能者のうちに深く沈め、 
       神の全能のみを仰ぎ見、 
       この神をすべてのすべてとし、 
       心の奥底より、神には絶対に不可能はない、 
       と確信に満たされて、「フィアット」と答えることである。 | 
    
    
       マリヤが、この「フィアット」によって、 
       インマヌエル預言をみごとに実現成就したように、 
       わたしたちもこの信仰の完全性において、 
       アニ-・エル・シャダイと宣言される、 
       うちにいます全能の主に対し、 
       「フィアット」をもって応答することによって、 
       わたしたちの時代に成就すべき、すべての預言を実現成就することが可能なのである。 | 
    
    
       預言者エゼキエルは、 
       「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」 
       と主より問われしとき、「フィアット」をもって答えたのである。 
       神と一致し、神の信仰に浸透され、わたしたちも「フィアット」と応答しよう。 |