〜霊的遺書〜



第12章 三位一体について
聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施(ほどこ)し」(マタイ28・19)
主イエス・キリストの恵みと、
の愛と、
聖霊の交わりとが、
あなたがた一同と共にあるように。」(コリントの信徒への手紙二13・13)
「ただのあわれみによって、
再生の洗いを受け、
聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。
この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、
わたしたちの上に豊かに注がれた。」(テトスへの手紙3・5〜6)
キリスト教徒(正統派)は、
聖霊は三つのペルソナ(位格)であって、
同一の神性(本質・実体)を共有する一体なる神である。
それゆえ、決して三つの神々を信じているのではなく、
聖書に啓示されている通り、
唯一(ゆいつ)の神を信じているのである」と神学的に定義しているのである。
三位一体(さんみいったい)の神秘は、
最大の神秘であり、
人知をもってそれをきわめ、理解し、把握(はあく)することは不可能である。
ただ、聖霊の啓示においてのみ、理解し、認識し得るものである。
旧新約聖書六十六巻の中で、
三位一体の原理を最も率直に示しているのは、
ヨハネによる福音書第十六章十四節、十五節である。
「御霊はわたしに栄光を得させる。
わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。」(ヨハネ16・14)
このみことばは、聖霊と御子との深い関係について語られしものである。
「聖霊はわたしに栄光を得させる。」
聖霊が人間のうちに内住されるとき、
聖霊は、「御子(みこ)をわたしの内に啓示し」(ガラテヤの信徒への手紙1・16)とあるとおり、
御子の神性の栄光を鮮やかに啓示し、御子ご自身の現存をクロ−ズ・アップされるのである。
「わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。」
ここに表現されている通り、
聖霊は
御子をあますところなく全的に、実体的に譲渡(じょうと)され、
受けとっている存在であられるからである。
「父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。」(ヨハネ16・15)
このみことばは、御父と御子との密接不可分の関係を示すものである。
「けだし神性は残りなく実体的にキリストのうちに満ちみちて宿れるなり。」(コロサイの信徒への手紙2・9、ラゲ訳)
「御子は神の栄光の唯一の表現であり、
神の本質の完全なかたちそのものであられます」
(ヘブライ人への手紙1・3、詳訳)とある通り、
父は子に自己の全存在のすべてを与え尽くし、
子は父の神性の全充満を受け、父と全く同一本性・実体を持っているのである。
父は子に、子は聖霊に、自己を完全に譲渡し合っているのである。
それゆえに、父と子と聖霊のペルノナは、唯一の神性、本質、実体を共有する、唯一の神である。

父と子と聖霊の三つのペルソナにおいては、
父は子に対して、子は聖霊に対して完全な自己譲渡があり、
完全な自己譲渡は同時に、
完全な本性(神性・本質・実体)の同一性、また唯一性、一体性を形成する。
したがって、三つのペルソナにおいては、相互の完全な内在が現存するのである。