| 第10章 キリストへの変容 | 
    
    
       「あなたたちはあなたたちの天のみ父が 
       完全であられるように完全にならなければならない 
       〔すなわち、徳と高潔(こうけつ)のほんとうの高みに到達して、 
       心と品性において完全に円熟した敬けんへと成長しなければならない〕。」(マタイ5・48、詳訳) | 
    
    
       「キリストがあなたがたのうちに完全に<永続的に>形造られる 
       <鋳型(いがた)で形造られる>。」(ガラテヤの信徒への手紙4・19、詳訳) | 
    
    
       「私たちはみな、顔からおおいを取りはずされて、 
       いつも主の栄光を見ている<鏡のように反映させている>ので、 
       いよいよ増し加わる輝きをもって 
       <栄光の一つの程度からされに次の程度へと進みながら> 
       主ご自身のみかたちへと絶え間なく化せられていくのです。 
       というのは、この事はみ霊であられる主から来るからです。」(コリントの信徒への手紙二3・18、詳訳) | 
    
    
       キリストへの変容(へんよう)といっても、それには二種ある。 
       ここにあげたみことばは、いずれも第一の変容を示しているのである。 
       すなわち、聖霊によって、絶え間なくなされる人間の霊魂における、キリストへの変容である。 | 
    
    
       これは、十字架の聖ヨハネが強調するところのものにほかならない。 
       「私が、あなたの美において、あまりにも変化されて、 
       美において、あなたに似たものとなり、 
       私たちは互いにあなたの美のうちに自分を見るように。 
       私はすでに、あなた御みずからの美を所有しているのだから、 
       私はあなたの美のなかにすっかり吸収されて、あなたの美のみとなり、 
       それで私は、あなたの美において、あなたのように見え、 
       私の美はあなたの美、あなたの美は私の美である」(霊の賛歌)と語っているところのものである。 | 
    
    
       かくのごときが、キリストへの内的霊的変容なのである。 | 
    
    
       神の実体であるロゴスが、 
       人間の人格の最深部なる核心に臨み、とどまり、 
       そこで人間の実在の核心がロゴスを抱擁(ほうよう)し、その一致結合により神性の浸透を受け、キリストに変容されてゆくのである。 | 
    
    
       「わが愛するものよ、 
       あなたはことごとく美しく、少しのきずもない。 
       わが花嫁よ、あなたはわたしの心を奪った。 
       あなたはただひと目で、 
       ・・・・・・・わたしの心を奪った。」(雅歌4・7、9) | 
    
    
       花婿であるキリストご自身が、 
       ご自身の血をもってあがなった花嫁なる教会を見て、 
       その美に魅了(みりょう)され、花嫁の美をたたえられた歌である。 | 
    
    
       キリストとの変化的一致によって、 
       あまりにもキリストに変容されし花嫁は、 
       あたかも神であるかのごとく、神的存在に変容しているからである。 | 
    
    
       かくのごとき変容は、神と霊魂との完全な相互の明け渡しの結果による。 
       今やこの霊魂において、神はすべてのすべてとなっておられるゆえである。 
       炭を火の中に投入すると、火は次第に炭に浸透し、炭はやがて火に変化するのと同様である。 | 
    
    
       第二の変容は、肉体のキリスト化、栄光化である。 | 
    
    
       「ここで、あなたがたに奥義を告げよう。 
       (聖霊の証印を受けた)わたしたちすべては、・・・・・・・・・ 
       終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。」(コリントの信徒への手紙一15・51) | 
    
    
       「わたしたちの国籍は天にある。 
       そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。 
       彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、 
       わたしたちの卑(いや)しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さる。」(フィリピの信徒への手紙3・20〜21) | 
    
    
       「彼(キリスト)が現れる時(再臨の時)、 
       わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。 
       そのまことの御姿(みすがた)を見るからである。」(ヨハネの手紙一3・2) | 
    
    
       キリストのあがないの目指すところは、人間の神化、キリストへの全的変容である。 
       これこそは、言(ロゴス)なる神の受肉の秘義である。 
       神は人となり、 
       人はこの全的変容にあずかり、ある意味において神となる。 
       人間の最高の目的は、この神と出会い、 
       神を直観(ちょっかん)し、 
       神なるキリストに変容することにあるのである。 |