エフェソの信徒への手紙3:14~19
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信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、
あなたがたを愛に根ざし、
愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
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そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
聖なる道 第25日 神の充満
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キリストのからだである教会こそは、
頭なるキリストを現在において啓示するものであり、
もうひとりのキリストであらねばならない存在であるからである。
もうひとりのキリスト、他のキリストであるためには、
どうしても神の充満を受けておらねばならないことは、原理的に当然のことなのである。
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試みに使徒行伝に登場する使徒達は、一人の例外もなく、
「一同は聖霊に満たされ」ていたのである(使徒言行録2:4、4:31)。
聖霊の充満、キリストの充満、神の充満こそは、使徒行伝におけるリバイバルの神的エネルギー源であった。
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キリストが、からだである教会を聖霊の充満とするのは、ご自身の充満を、
教会を通して、人類に伝達させるためである。
自分自身が神の充満の体験を持たないなら、いかにして他者に溢れ注ぐことが可能であろうか。
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この終末時代をすべくくるリバイバルを起こすためには、どうしてもわたしたちが、
この神的エネルギー、神の充満を持たねばならないのである。