コリントの信徒への手紙一 6:12~20
体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、
主は体のためにおられるのです。
神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。
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しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。
みだらな行いを避けなさい。
人が犯す罪はすべて体の外にあります。
しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。
知らないのですか。
あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
聖なる道 第23日 主と一つの霊になる
霊的生活の目指すところは、神との全き一致にはかならない。
二つの蠟を溶かして、一つの型に入れると、全き一つの蠟となるように、
主に堅く結びつく者は、ついに主と一つの霊となるのである。
これぞ神人融合の極致である。
この極致的一致合一において、神の実体と人間の実体とが、霊的婚姻関係に入り、
霊魂は聖霊のくまなき浸透を受け、神的に変容されるに至るのである。
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このように神が霊魂に浸透されるためには、どうしても念祷が必要なのである。
精神を神に集注し、神のみを求め、神のことのみ思考し、神と親しく交わり、神のうちに自失するほど、
神の深みまで沈潜する必要がある。
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神の現存の鮮烈な意識、神への完全な明け渡し、火のような神愛にによる溶解、
蜜のように甘美な愛による融合によって、全く主に密着し、ついに主と一つの霊になるのである。
これが霊的生活における、神との一致の終極なのである。
この極致にあっては、霊魂はあまりにも聖霊に浸透されているために、キリストに変容され、
主の栄光を鏡に映すごとく直観するために、まことに恍惚となるのである。(コリントの信徒への手紙二 3:18)
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神のうちに深く没入し、神の愛の甘美さに恍惚となり、愛のうちに全く溶け込む。
神との一致の度合いに応じて霊魂はキリストに変容するのである。