御言葉を生きる


~キリストがすべて~



コロサイの信徒への手紙2:9~10
キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、
見える形をとって宿っており、
あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。
キリストはすべての支配や権威の頭です。

コロサイの信徒への手紙3:11
キリストがすべてであり、
すべてのもののうちにおられるのです。


聖なる道 第22日 キリストがすべて
パウロ神学の要約である、「キリストがすべて」を自分自身のものとするなら
霊的生活の頂点に到達したこととなる。
信仰というギリシャ語は、神と一つになるという意味をしめすことばである。
事実、信仰によってのみ、人は神と一つになることができるのである。
「キリストは、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがない(すべてのすべて)とになられたのである。」
神がキリストをあたえたもうたのは、単に罪の赦しをあたえるのみではなく、
わたしにかかわる全的なあがない、すべてにかかわることを示している。
父を知りイエス・キリストを知り、永遠の命を人格的に、実体的に知ることができたのは、
人知によるものではなく、神の啓示によったのである(エフェソの信徒への手紙1:17~19)
霊的無知蒙昧なわたしたちが、御旨の奥義を理解し得たのは、神の啓示による。
不義なる者を、義人とするための手段はただ一つしかない。
神の義であるキリストご自身を与えることによってのみ、可能なのである。
原罪によって、全存在がくまなく汚されている人間を、聖なるものとするためには、
聖そのものであるキリストご自身を与えることによってのみ可能となる。
霊的死人である人間を、復活させるには、
復活でありいのちであるキリストご自身を与えること以外に道は絶無である。
・・・・・・・・霊的死人である人類を全的に救うために、キリストを提供されたのである。
彼を自分自身のいのち、あがない、すべてとして受け入れた者は幸いである。