御言葉を生きる


~神の同労者~



コリントの信徒への手紙一 3:5~9
わたしは植え、アポロは水を注いだ。
しかし、成長させてくださっのは神です。
わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、
あなたがたは神の畑、神の建物なのです。


聖なる道 第二十日 神の同労者
神の同労者とのことばは、意味深長である。
単にキリスト教的事業のために、働いているという意味ではなく、キリストと同一使命、
キリストと同一目的のために、一心一体となって働いている、キリストの救いの事業の継承者、
また協力者として奉仕している、との意味である。
使徒時代の宣教には、なにゆえしるしと不思議が次々起こり、
いずこにおいてもすばらしいリバイバルが起こったのか、それを解く鍵がここにある。
「弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。
主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、
その確かなことをお示しになった。」(マルコによる福音書16:20)

現代の教会に久しくリバイバルを見ることができないとすれば、
そこには何らかの理由が存在するはずである。

その伝えるところのものは、キリスト教か、それとも福音かという点においてである。

もし伝えるものがキリストの福音、まじりなき純粋の福音であるなら、
キリストご自身においても、彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、
その確かなことを保証する義務をお負いになるはずである。

主ご自身がたちあがり、しるしと不思議を顕し、リバイバルを起こされるのは、使徒達が福音を福音として、
正しく伝えることによってのみ保証されているということでる。