ガラテヤの信徒への手紙1:16、2:20
御子をわたしに示して、・・・・・・・
生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。・・・・・・・
言泉集2 出会い
1938年1月9日夕7時、忽然として、私の面前に、
復活の生けるキリストご自身が聖なる御臨在のうちより顕現され、
息を吹きかけ、
「我をとりて食らえ」と御声をかけられたのである。
その息の中から、発光体の火の炎のごときものがあらわれ、わたしに近づき、
わたしの口に触れた。
その発光体は、「言(ことば)」であった。
その言がわたしの腹の中にとどまったとき、間髪を容れずして、
わたしの人格の最奥において、
『言(ことば)・・・・ロゴス・・・・キリスト・・・・神・・・・聖霊・・・・三位一体・・・・実体・・・・ロゴスは神なり・・・・
これがうちに生命(いのち)あり・・・・永遠の生命(いのち)!』(ヨハネによる福音書 1:1~4)
まことに、「御子をわたしの内に啓示して下さった」(ガラテヤの信徒への手紙1:16)のである。
わたしはイエス・キリストとの出会いにおいて、まことに神なるロゴスに出会ったのである。
聖ヨハネのごとく、神の実体そのものであるロゴスとの全人格的出会いを体験したのである。
この生ける神との出会いは、わたしのイエス・キリストに対する認識、
キリストの神性に対する認識に革命をもたらし、
わたしの一切を根本的に本質的に更新した。
わたしがロゴスとの出会いにおいて到達した神認識は、『言は神なり』との聖ヨハネとの同一認識であった。
この神との出会いこそは、最高の出会いであり、最大の出会いであり、
神の現存を失うことのない永遠の出会いである。
この神との出会いにおいて、人は永遠に生きるものとなり、
神の性質にあずかるものとされ、聖化され、
ついに主ご自身と同じ姿に変容されていくのである。