御言葉を生きる


~待っている人のように~



ルカによる福音書 12:35~40
腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
人の子は思いがけない時にくるからである。


聖なる道 第18日 待っている人のように
キリストの再臨は切迫している。
それは、もはや疑う余地のないものである。
キリストが再臨される直前に、地上に起こると預言されていた、
すべての預言としるしが、ほとんど実現し、出そろったからである。

使徒ペテロが語っているように、「神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
極力、きよく信心深い行いをしてjなければならない。」(ペテロの手紙二 3:11~12)

はたしてあなたは、この自覚のもとに、きよい信心深い行いを営みながら、
キリストの再臨を待っている人のように、準備万端成り、
一日千秋の思いを込めて、待望生活をしているであろうか。
時は一刻も停滞することなく、厳粛な主の日に向かって進行しつつある。
確かにもう時はいくばくもない。
一刻一刻がまさに貴重な時なのである。

再び返ることのないこの貴重な時を、極力信心深い行いのために、
最大限に活用しなければ、悔いを千歳に残すこととなるであろう。
なぜなら、わたしたちの永遠の運命は、この地上で到達した霊性に応じて、
天界においてそれに適合する段階に決定されるからである。
わたしたちの成聖を急がねばならない必要性が、実にここにあるのである。

今一つの理由のためにも、時を最大限に利用しなければならない。
義人ノアが、神の啓示に従い、箱舟を造りながら、
声を大にして宣教にはげんだのは、洪水の時が予告され、
時があまりにも切迫していたからである。
「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。」(マタイによる福音書24:37)

「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」(コリントの信徒への手紙二 6:2)

「あかりをともして」「『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。」
マタイによる福音書25:6)