御言葉を生きる


~信仰の成長を与えられるキリスト~



ヨハネによる福音書 9:1~7、35~39
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かれられた。
イエスはお答えになった。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。・・・・・・・・・・」
こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗になった。
そこで、彼は言って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

イエスは言われた。
「あなたは、もうその人を見ている。
あなたと話しているのが、その人だ。」
彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、
イエスは言われた。
「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。
こうして、見えない者は見えるようになり、
見える者は見えないようなる。



ヨハネによる福音書 9:24~34
ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。
しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。
生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、
これまで一度も聞いたことがありません。
あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。