マタイによる福音書 26:26~30
イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、
それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。
「取って食べなさい。これはわたしの体である。
また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。
「皆、この杯から飲みなさい。
これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、
契約の血である。
聖なる道 第8日 わたしの契約
新契約の小羊であるキリストを拝食することによって、
キリストのいのちにわたしたちが生きるためである。
それはまた、キリストご自身がわれわれの内に宿り、
わたしたちにあって、今を生きるためである。
イエスと出会い、真の過越の小羊であるキリストを拝食することによって、
すなわち御名によって、神ご自身を宿し奉わるのである。
霊界においては、命のパンなるキリストを拝食するとき、
霊魂は、キリストを自分自身に変化させるのではなく、
キリストのいのちにくまなき浸透を受け、
次第にキリストに変容されてゆくのである。
まことにキリストを拝食し、
神的生命への参与によって、
わたしたちはもうひとりのキリスト、
しかり、キリストの地上生涯の再現・延長とされるのである。